おかげさまで、2月新刊、「越前敏弥の日本人なら必ず悪訳する英文」、久保憂希也さんの「すべての日本人のための日本一やさしくて使える税金の本」などみな快調。
とくに、小池龍之介さんの「超訳ブッダの言葉』、発売1週間にして、ベストセラーの兆候を見せている。ほんと、ニーチェを超えるか???
その小池さんによるディスカヴァー・ブッククラブでの講演&サイン会、25日金曜日、100名以上のファンを集め、盛況のうちに終了。
盛況といっても、ご本人のご希望により、部屋を暗めにし、ご本人は、高くもない演題の上に敷いた布の上に正座。いつものように、声量があるとは言えないお声で、静かにお話になって、聴く側も静かに一心に聴いていたので、賑々しい感じは、もちろん、ない。
お話の内容は、ブッダの生涯を語りつつ、それを現在の私たちに当てはめる。
「超訳ブッダの言葉』の巻末にも、小池さん自身による「ブッダの生涯超ダイジェスト」として書かれているように、シャカ国の王子だったブッダは、29歳の時に妻子を捨て、すべてを捨てて修行の旅に出るまでの29年間、およそ、人が、「これがあったら、幸せになれるのに』「これが自由になったら、幸せになれるのに」と思うもののすべてを持っていた。
快適な住まい、別荘、おいしくて豊かな食事、お酒、女(16歳のときから素敵な人をすぐに何人でも妻にできて実際そうしてきた)、そして、いうまでもなく、いずれ手に入る玉座(シャカ国は小さな国ではあったが)、 英才教育を受けてきたから抜きんでた知性もあり、また、教師にも恵まれていた。
ところが、すべてを持っていたがゆえに、それらの外側のものからは『幸福』は得られないことを彼は知ってしまう。彼が求める心の内側の幸福は得られなかった。それどころか、快楽を得れば得るほど、満たせば満たすほど、苦しみが増すことを彼は体験的に知ってしまった。
そうして、内なる幸福、というより、彼自身の苦しみから逃れる道、苦しみを減じる道を求めて、修行に出るわけだが。。。。。。
よく言われるように、イエスやムハンマドとブッダの違いがここにある。
時の権力者から迫害された人々の英雄として生まれた宗教家とブッダの違いがそこにある。ブッダの教えそのものは、宗教ではなく、心の実践的トレーニングだと小池さんが言うとおり。
だからこそ、小池さんが『超訳』したブッダの言葉の一つひとつが、心に響き、実際のところ、役に立つ。
すでに、多くの方がブログに、当日の感想や書評をあげてくれているようなので、いずれ、タナカがリンク集の記事を書いてくれると思う(と、なにげに公開業務命令!?)。
そういえば、小池さんが原稿を上げてくれるのを待っている半年以上の間に、瀬戸内寂聴さんの『釈迦』を読んだ。瀬戸内さんの描く、何というか、壮絶な半生というか、それまで思っていた悟った聖人というイメージとは異なる人間ブッタに、ほんの少しだけ、彼がどうして、すべてを捨てて修行に出なければならなかったのか、その必然性がわかるような気がした。ほんのほんのほんの少しだけど。。。..
青年僧侶、小池龍之介さんも、息子のような若さでありながら、ほんとうに『貧乏入門』に書かれていた生活そのものをしている(まさに何も持たず、瞑想修行の日々)のを見てついおすがりしたくなっちゃっうのだけれど、
浄土真宗のように修行をしなくても僧侶になれる時代に、いったい、なぜに? と思っていたのが、『貧乏入門』、そして、『坊主失格」(扶桑社)を読んで、そうか、彼にとっては必要だったんだ、と少しだけその必然性がわかったような気がした。ほんの少しだけど。.
さて、その小池さん、21時には就寝というところ、長蛇の列となってもお待ちいただけた読者の方に、静かな笑顔で、サインに応じられていた。
じつは、夕食は召し上がる時間がなさそうだったので、遅めの昼食を、かの『精進料理 醍醐』でご一緒した。お店が用意してくれた乾杯の杯は勿論、梅酒も召し上がらない徹底ぶりに、女将さんたちもびっくり。。
写真は、食事の前に、ひとりお経を心の中でとなえる小池さん(私たちは、お先にぱくぱく)。そしたら、そのお経が、お箸の包みに、書かれていた!!
五観の偈(ごかんのげ)
一には功の多少を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
二には己が徳行(とくぎょう)の全欠と忖(はか)つて供(く)に応(おう)ず。
三には心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
四には正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。
五には成道(じょうどう)の為の故に今此(いまこ)の食(じき)を受く。
訳は、ウィキペディアにもあるけれど、こちらが分かりやすいかも。
でも、わたしたちは、そのお経に気づいたの、食べ終わった後だったので、。。。
次は、唱えてから、いただきます!??